「アウトサイド・ジャパン」を読んでわかった表現をし続けることの面白さ

ブックレビュー/書評
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本は基本的に図書館で借りて読んでいます。WEBで予約ができるのでいつも図書館へ行きそのままカウンターで借りるだけなのですが、10月は秋の読書応援月間のようで通常よりも多く借りれるようになっていました。

なので、図書館をふらふらと見ながら気になった本をいくつか借りてみました。

その中の1冊、櫛野展正氏の著書「アウトサイド・ジャパン」が面白かったのでご紹介したいと思います。


街にいる普通の表現者たち

派手で面白そうな表紙に心惹かれて、パラパラとめくってみたら面白そうっだったのでなんの知識もなく借りてみました。

図書館だと無料なので何の躊躇もなく借りて読めるのがいいですね。

本の内容は街でたまに見かける派手な格好をしている謎のおじさんとか、心に不安を抱えてしまって引きこもって絵を書き続けている方や、個人が作ったであろう謎の建物やオブジェ、それを作った人達の作品などが集められていました。

街でたまにそういう人やモノをみることはありますが、すれちがっただけだとただ驚くだけですが、なぜその人たちがそれを作り出すにいたったか、その物語がそれぞれ少しづつですが写真とともに紹介されていて興味深く読みました。

作品ができるまでには物語がある

我々が見ている部分は作り出した作品という「点」ですが、なぜそれを作り出したかという「線」で物事を見るのは面白いですね。

それぞれドラマがあって物を作ったり、絵を書いたりしていますが別にお金を稼ぎたいとか、人に認められたいから創作するわけではありません。

作る行為が楽しかったり、集めること自体が目的でやっている人がほとんどです。自分のことを表現者だとか芸術だとかも考えていない。そして、それを何年も何十年もやっていて気づいたらとんでもない数とクオリティになっている、みたいな人達です。

よく見かける変わった人だけど、変人というほどでもないし、天才という感じでもない。そんな人たちをアウトサイダーと評していました。

評価される表現者とアウトサイダーたちは何が違うのか

評価されてお金を稼ぐことができる表現者はその作品をプロデュースして届けることまで考えている人たちなのかもしれません。

西野 亮廣の著書「魔法のコンパス 道なき道の歩き方」には絵本を作るだけでなく、自分が作った絵本を読んでくれる人たちまで届ける手段までを考えていたということが書いてありました。

しかし、相当頭がいい人でなければそこまで考えることは難しいです。

普通の人たちは自分の中のもやもやした気持ちを書いたり、何か作ることで発散してそれを人に届けるようなことまでは考えません。しかし、その人目につくことなく作られ続けた作品もとんでもない芸術的なものもあるでしょう。

インフルエンサーになるか、街の変わり者になるかは紙一重の違いだったります。天才といわれるかか変人と思われて終わるか。町の変わり者が突然脚光を浴び高い評価を得ることもざらにあります。

死後にその作品が評価される芸術もたくさんあります。もちろん、他人からしたらただのゴミと扱われるものもあるでしょう。しかし、人は何か表現していきたいものなのだと思いますし、自分の中の何か表現すること自体が楽しいのだと思いました。

表現することに年齢は関係ない

あと、独自のものを創作している人は年配の方も多いです。

時間に余裕があるのもありますし、人生の積み重ねた経験とつぎ込まれた時間が長いので作品数が多くなります。収集されるものも時間が多ければ多くなるので当然といえば当然です。

街でも不思議な恰好の年配の人は結構見かけます。でも、この本を見ると「どんなドラマがあってあの境地にいたったんだろなあ」という風にみることもできます。

表現をすることに年齢は関係ありません。晩年から絵を書き始めたり小説を書き始めて、それが評価される人もたくさんいます。創作を始めるのに遅すぎることはないのです。やってみたい、と思ったときに始めればいいと思います。

そう考えると何を積み重ねていこうか人生の楽しみが増えてきますね。

まとめ

櫛野展正氏の著書「アウトサイド・ジャパン」をご紹介いたしました。

出会いがしらに面白い本に出会って読むも楽しいですね。知らない世界をのぞき見できるのも本を読む醍醐味です。また知らないジャンルの本も読んでいきたいです。

人になんと言われたり思われたとしても面白いと思うものを作ったり発信することは大切でそれは年齢は関係ありません。誰になんと思われようと発信していきたいと思いました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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